カレーとシチューと言ったら僕の中では兄弟、姉妹の様なものだと思っている
現にスーパーなんかに行っても、カレーのルーとシチューのルーは隣同士に陳列されているし、なにより料理のその見た目がほぼ同じなのだ
ここで1つ問題視されているのが、シチューはご飯にかけないという人が多いということだ
僕は専らシチューをカレー同様、ご飯にブッかけて食べて育ったのでそれが僕の中の普通なのだが、世間一般ではどうやらガキ扱いされるらしい
兄弟姉妹だからそこまで珍しがられるのもおかしな話だ
僕は、かけないで食べる人に対して何も言わないのに、僕がかけて食べたらガキ扱い
カレーはかけて食べてもそれは何も言われない
それはみんなそうしてるし、それが普通だと思っているからだ
恐らく、ルーをぶっかけて食べる = 未熟者という概念が無意識のうちに、シチューかける派を珍しがる人々には植えつけられている
そこから、カレーが弟ならシチューは兄、カレーが弟子であればシチューは師匠という考え方がおのずと見えてくる
カレーを下に見ている
厳密に言うとカレーの食べ方を下にみているのだ
考え方というか、僕みたいなシチューかける派を物珍しく見る人たちの潜在意識だ
本人たちも、おおよそこの事には気付いてないだろうが、そういう意識がどこか当たり前に植え付けられているからこそルーをカレー以外でかけただけで珍しがってしまうのだ
「シチューをかけるの?カレーじゃないんだから」
言い換えると「もう大人なのにまだルーぶっかけて猫まんまみたいにして食べてんの?33にもなって。もしかして包茎?」だ
しかしよくよく考えてみると何かを何かにぶっかけるという行為はやはり日本人として理性が働いてしまうのではないだろうか
本当はそんな理性取っ払って、なんでもぶっかけてみたい気持ちはあるはずだ
カレーに関しては「米にルーをぶっかけて食べるもの」としてオフィシャルに許可されたものなのでみんなそれを普通として受けいれている
カレーを嫌いという人は少ないあたりからして、やはり本能ではぶっかけたいのだ
味が美味いということもあるが本当はぶっかけという所に惹かれていることに気付いていないだけなのだ
決定的証拠として、ぶっかけうどん、イクラぶっかけ丼なんて血眼になってカッ喰らってる人々を目にするのも少なくない
やはり日本人の奥ゆかしさ上、料理ごとではなく国がぶっかけ自体を公式に認めない限りシチューを米にぶっかけて食べることはアウトローな人間のやることなのだ
written by ハマゾノリョウジ
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