ふと、思ふ written by ハマゾノリョウジ


「今日って暑いのかな?」 
 

そんなことを昔よく奥さんに聞かれていた
 
 
 
当時の僕の答えはこうだ
 
 
 

そんなもん人それぞれなんだから自分で感じた温度が答えだろと
 
 
 

僕が暑くても君は寒いかもしれないし、君が暑くても僕にはちょうどいいかもしれない

 
 
 

何度も何度も耳にタコが出来てタコ焼きにするくらい言うが100人いれば100通り、100万人なら100万のストーリーなのだ

 
 
 

今日の気温など自分で感じて、服装なりなんなり己で判断してくれと

 
 

子どもが保育園へ行き出して毎日着せて行く洋服を選ぶことが多いのだが、そこでも同じ疑問にぶち当たることになる
 
 

僕は暑いと思っているがこの子はどうなんだろう
 
 
 

子ども自身、言葉では「暑い」だとか「寒い」とか言うけど大方真似しているだけでそこに意味など存在しないような年齢だ
 

 

そこで頼るのは天気アプリの気温
 
 
  

本来、人により暑いとか寒いはあると思っているので本人の好きにさせるのが一番なのだが、会話のままならない年齢の子供は、とりあえず、媒体の言う「一般的に」に従わす他ないのだ
 
 
 
 

しかし、気づいた 
 
 
 
同時に僕もそのアプリの気温予想を鵜呑みにして自身の洋服をチョイスしている

ハッとした
 
 
 
 

これまでは自分で気温を感じて長袖半袖薄手厚手を選んでいたのに子供のためにと考えるが余り、アプリに頼り、挙句自分もいつの間にか、そのアプリに表示されるままの気温を信じ、気温を感じる前に表示された気温に合わせた服をチョイスしている
 
 
 

人は考えるのを辞めた時、考える機能が死ぬ
 
 
 

というか、考える機能自体は死なないかもしれないが、とりあえず「気温はアプリを見れば大丈夫」ということで気温を感じて判断する機能だけが死ぬ
 
 
 

時代はIoTとやらで便利にはなっていくが人は進化してるようで実は退化していく気がしてならない
 
 
  
一部は進化するが、大半は退化する 
 
 

これからの子たちは特にそうなるのではないか

 
 

しかし逆にこうも考えられる 
 
 
アプリや機械がやってくれることは考える必要がなくなる 
 
 
なのでそこは頼り、それ以外のことに脳を使う
 
 
 

そうやってさらに凄い人間になるのかもしれない
 
 

わからんけど、こういう世の中になった以上、そう信じるしかないのかもしれない
 
 
 
 

そんな時代に、昭和生まれのアナログ人間はレコードを集め、ガチャガチャとUFOキャッチャーで人々が不要だというものを握りしめて5Gの時代を逆走しているのだった

©2017 the Goodtime.r's Show