それがなんになる written by ハマゾノリョウジ


「人は生まれながらにして平等である」と 

果たしてそうなのか
 
 

なんとなくみんな考えたことがあることでしょう
 
 

その答えはやはり人それぞれだとは思う
 

明らかに見た目が勝っていても内面では大敗しているから平等だ。とか
 
 

見た目も中身も最強のやつまで現れてしまって全然平等じゃないだ。とか

 
 

しかし本人の本当のことなどその本人しか知らないのだ
 
 

もしかしたら最高にかっこよくて内面も超イケてる人でも、ウンコ漏らし癖がかるかもしれない
 
 

もしかしたら見た目も冴えない内面も暗い人が、80億円の貯金があるかもしれない
 

 
ここでしっかりと確認したいのだが平等というのは勝ち負けの数が同じでなければならないのだ
 
 

なにも外見と中身だけではない
 
 

その試合の数は無限にあるのではっきり言ってこれはキリがない
 
 

つまり平等かどうかなんてわからないのだ

 

もっと言えば各試合にもウエイトがある
 
 

ジョニーデップ vs ハマゾノリョウジ
 
だったとしよう
 
 
 

まず外見でジョニーデップの圧勝であることは全世界、全生命体の周知の事実
 
 
 
仮にジョニーデップの足が臭かったとしよう
 
 

ジョニーデップの足が臭かったとして、僕の足がとてつもなく良い香りだったとして、足の匂い対決で僕が勝ったとしても、外見のウエイトがデカすぎて1対1にはならないであろう
 
 

それが仮にジョニーデップの足がゲロの臭いで、僕の足がシャネルの香水の匂いだとしてもだ
 
 

つまりこのジョニーデップとの外見試合の負けを取り返すには、もう850項目くらいハマゾノが勝利しないといけないことになるのだ
 
 
 

しかしどうだ
 
 
 

財力で見ても一目瞭然
 
 

ここでも大敗を期しているのだ
 
 

これも平等になる為には他の7000項目の勝利を得ないと平等とは言えまい

 
 

この2項目を見ただけで7850項目も差をつけられているのだ
 
 

7850対1なのだ
 
 

しかもこの僕の1点はジョニーデップの足が臭いと仮定した話
 
 

もっというと僕の足も臭いのだ
 

 

こうなってくると果たして僕とジョニーデップは平等だと言えるのだろうか
 
 

無限に項目があったとしても本当に平等だと言えるのだろうか

 

 
しかしこれはジョニーデップの努力を除いた考え方なのだ
 
 

 
たぶんジョニーデップはかなり努力したのだ
 
 

実はこの平等問題を語るときは大体相手の努力には目をやらない
 
 

僕がポテチを食べながら海外ドラマを観てる時、彼はトレーニングに勤しんでいるわけだ
 
 

それなのに僕は平等じゃないなどと甘えたことを言っている
 
 

人は平等じゃないんだ
 
 

平等なわけがない
 
 

だから努力するのかもしれない
 
 

努力をしなければどんどんその差は大きくなるだろう
 
 

努力してない僕が努力しているジョニーデップへの僻みを平等というそれっぽい言葉に落とし込んでいるだけなんだ
 
 

さらに今更ではあるが、「人は生まれながらにして尊厳と権利において平等」と、かつての先人は言っているのだ
 
 

あくまで尊厳と権利だ
 
 

誰も全てにおいて平等とは言ってないのであった

 
 

とにかく比べ出したらキリがないので自分は自分で頑張りましょうってことです

  
 

努力すれば全員ジョニーデップかジョージクルーニーになれる日がくるのさ
 
 

 
この曲を聴いてそんな風に思いました
 
 

それでは聴いてください 
 

呂布カルマで「キリアレヘン」
 
 

 
Artist : 呂布カルマ
title : キリアレヘン feat. MINT
beats : SBO
収録album : The Cool Core

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